新卒で入社した会社を辞めた理由

結論から言うと、新卒で入社した会社を約4年で退職した。

退職してから、四捨五入すると10年経つ。最近、TVCMで広瀬すずが出ているのを目にするので、当時を度々思い出す次第である。

当時の辛かった思い出を箇条書きにしてみた。

・とにかく激務。GWやお盆などの長期休暇は、工場の設備が止まるため、設備の工事がある。そのため、出勤を余儀なくさせられる。その時期は、月残業120時間、13連勤、夜中の2時まで工事が掛かり、帰れないこともしばしば。事務所の机の下に寝袋を常備していた。

・長期休暇に、電気代を安くするため、日月休みにさせられるのも嫌だった。家庭を犠牲にしてる感が満載。

・危険な職場。とにかく、工場は危険がたくさん。ヘルメットを被っていたがダクトに思いっきり頭をぶつけ、衝撃のあまりしばらく倒れていた。現場の設備を弄っているときに、酸性の薬液が顔面に思いっきりかかった。安全札をかけて、電源を落とし、安全柵の中で設備を調整していたら、現場の作業員が、きちんと確認せず、安全柵を閉めて、設備に電源を入れようとした。慌てて、大声を出して事なきを得る。

危うく、産業用ロボットに挟まれ、殺されるとこだった。安全札が貼ってあったら、勝手に外したり、電源を入れたりしてはいけないルールなんですけどね。

・工場のボロボロのキャットウォークを歩かされる。足場がいつ崩れてもおかしくなかったので、恐怖でしかない。

・夏は暑くて、冬は寒い職場。本当に最悪の一言。上流の原料の工程は火山の溶岩のようなところで、冬でもアッチッチ、周囲温度は50℃とも60℃とも言われている。30分もいれば死んでしまうだろう。夏場は地獄で、10分間しか作業できないと聞いている。

・とにかく、3K職場。原料の粉末のせいで、常に粉っぽい。粉で、メガネや時計が壊れました。

・職場のメンバーは15人程度いたのですが、恐ろしいことに半分程度の人が離婚していた。この職場では幸せな家庭は築けないと思いました。

・酒を飲むと、殴るったりあばれたりする管理職がいる。自分は、あまり殴られませんでしたが、先輩や同期はたくさん殴られていました。さっさと警察に突き出せば良いのにと思いました。居酒屋でも良くグラスを割るので出禁になっていました。

・同期と現場上がりの主任さんが、本気の殴り合いをする。ただ、ただドン引きでした。

・家を買ったら、ずっと単身赴任で家に住んだ事ないと言っている部長がいて震えた。

・業務フローやマニュアルがない。仕事が完全に属人化していました。大手企業なのに信じられません。

・パワハラがやばい。上司や先輩に仕事が辛いと相談すると、泣き言を言うな。やるしかない。嫌なら辞めてしまえ。と言われる。仕事が回らなくて、評価が下がって困るのは自分だから。どうすればいいか分かるよね?と言われて、半ば残業を強制させられる。しかも、サービス残業。パソコンのログ誤魔化しや、カードリーダーをタッチしないで、退社時間の誤魔化しが横行。

・部長が仕事をしない。新聞を読んだり、魚釣りの道具をいじったりして遊んでいました。

・現場の高卒のおじ様方の辺りが、大卒総合職に対しての当たりがめちゃくちゃきつい。

・三交代制のため、夜でも寮まで工場の音が聞こえる。ラジオ体操の音やフォークリフトから流れるエレクトリカルパレードの音が、まじ拷問。土日も聞こえるので、気が休まらない。

・新築の寮が欠陥住宅。クローゼットの湿度がめちゃくちゃ高い。梅雨じゃないのに除湿剤が1週間で満タンになる。クローゼットの服が全部カビました。配管が上にあって、漏れているのかな?

・東大卒、アイビーリーグ留学帰り、体育会系みたいなスーパーマンが、鬱病で休職する。聞いた時は、嘘だろ?と愕然としました。

ちょうど、早期退職を募集していた時期だったので、若手の士気が下がり、仲の良かった先輩が何人も会社を去り、落ち込みました。

そんなこんなで、自分も毎日、死にたいと思うようになり、このままではまずいと思い、転職活動をし、次を決めてから退職しました。自分が辞めた前後で、同じ部門で採用された同期10人のうち、半分の5人が退職しました。いずれも、東大、早慶、地方帝大のメンバーでした。

どれを取っても良い思い出でした。怒りの感情しかありません。

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